2026/06/05

『時間の川』を渡る自分へ

 

           イメージ画像: anreed-gallery / Tumblr 様

               [ Used with permission. ]


 自分で書いたのに、自分の文章とは思えない——そんな不思議な感覚に、ふと立ち止まることがある。

 日記でも、手紙でも、あるいはただの走り書きでも、過去の自分が残した言葉を読み返すとき、どこか他人の声のように聞こえることがある。文体は似ていても、その温度が違う。選ぶ言葉が違う。世界の見え方が、もう変わってしまっているのだ。

 私はこの文章を点字タイプライターにて綴っている。指先が文字を刻むたびに、言葉はただの記録ではなく、確かな存在感をもった痕跡になっていく。そしてその痕跡は、普通の文として載せてもいるので、過去の自分に遡ることができる。

 遡ると…… やはり、出会う、否、見つけてしまう。自分のものとは思えない文章に。

 あのとき何を考えていたのか。なぜこの言葉を選んだのか。もはや思い出せないこともある。それは記憶の薄れではなく、自分がそこから遠く歩いてきた証拠なのかもしれない。

 人は変わりながら、変えながら生きているのだ。

 これは諦めではない。嘆きでもない。ただの事実だ。川の水が同じ川でありながら一瞬も同じ水ではないように、人もまた絶えず流れている。昨日の自分は今日にはもういない。それでも言葉だけが岸に残り、「かつてここに誰かがいた」と静かに告げている。

 自由とて同じ事。自由に恐れてしまう。だが、これを恥じる必要はない。

 拙く見える文章も、今では信じられない感傷も、あの頃の自分が精一杯つかんだ言葉だったはずだ。変わったということは、生き延びたということ。そう考えることにした。

 こういう経験は、きっとこれからもあるのだろう。何年か後にこの文章を読んだ自分もまた、首をかしげるかもしれない。それでもいい。

 その時の私は、また少し遠くまで歩いてきた“人間”になっている筈だから。

造られたもの達

 

            - イメージ画像: berkwz / Tumblr 様 -



              

アノーマリーのただ中で、私は思わず呟いていた。

『可愛い』と。


​だが、すぐに冷徹な理性が私の脳裏を叩く。忘れるな、この目の前の生き物はゾーンが生み出した紛れもない『ミュータント』だ。過酷な放射能と致死的な環境に適応し、独自の進化(あるいは退化)を遂げた肉食獣。油断した次の瞬間、その牙は私の喉笛を容赦なく引き裂くだろう。

​それでも、このおぞましくも哀れな獣が私に無警戒に擦り寄ってきたなら、話は別だ。

ボロボロの防護グローブ越しでも構わない。私は思わず、その異常な毛並みへと手を伸ばしてしまう。生態系を乱す歪んだ存在であろうと、アーティファクトの研究対象であろうと、私の目の前で不器用に体温を放っているのは、確かに息づく『命』なのだから。

​おそらく、この妙な人懐こさは、Zoneという地獄の中で彼らが生き残るために刻んだ記憶だ。

ストーカーたちとの血で血を洗う敵対、そして稀に訪れる、奇妙な『共生』。その歴史の中で彼らは学習したのだ。一時的に敵意を押し殺すことが、どれほどの利益(肉の一片や、夜露をしのぐ焚き火の暖かさ)をもたらすかを。

これは単なる野生の本能ではない。Zoneという不条理な世界で、彼らが後天的に獲得した、歪で、しかし見事な『処世術』なのだ。